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常長はローマ市民権を与えられ、ローマ貴族に列せられましたが、ローマ法王は宣教師の派遣は同意したものの、通商についてはイスパニア国王に一任しただけでした。
再びイスパニアに戻った常長でしたが、長旅の疲れで健康を害した上、旅費の欠乏も重なっていました。
それでも常長は国王、法王にメキシコとの通商許可の請願を繰り返し、使命の実現に努力しましたが、返答を得られないままやむなく帰路につきました。
メキシコまで戻った常長は、そこへ迎えに来ていたサン・ファン・バウティスタに乗りフィリピンのマニラに到着後、マニラでスペイン艦隊に船を買収されたので長崎まで別の船に乗って、1620年9月22日、ようやく仙台にたどり着いたのでした。
しかし、帰国した常長を待ち受けていたのは、徳川幕府の禁教令でした。常長は表舞台に立つことなく、帰国して2年後の1622年7月1日病没したと伝えられています。
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