関連人物図鑑CHARACTERS
仙台藩、徳川幕府、外国人。多くの人びとが関わり、実現した慶長遣欧使節。
使命のため、神の国をつくるため、商いのため、それぞれの思いを秘めた180人余りの人びとが、使節船に乗りました。
KEY PLAYERS
慶長遣欧使節 七人の立役者
DATE Masamune
伊達政宗
だて
まさむね
全国で3番目に大きい62万石の領地をもつ大名。
メキシコ貿易の実現による仙台藩のさらなる発展をめざしました。
1567(永禄10)年、伊達政宗は米沢城(山形県米沢市)で生まれました。幼いころに病気にかかり右目が見えなくなったため、内気な性格でした。しかし、父・輝宗の教育や家臣たちの支えで学問と武芸に優れた武将になりました。
城下町仙台のはじまり
1601(慶長6)年、政宗は、岩出山から東西南北への交通に便利な仙台へ移り、新たな城と城下町を築きました。
HASEKURA
Tsunenaga
支倉常長
はせくら
つねなが
通称六右衛門。長経とも呼ばれました。
政宗に見いだされて大使となり、ヨーロッパへ向かいました。政宗からの使命であるメキシコ貿易の実現に全力を尽くしました。
1570(元亀元)年、支倉常成の子として生まれました。7歳の頃、伯父の支倉時正の養子になったとされています。
伊達政宗の家臣として
伊達政宗の家臣として海外に渡った経験や、政宗の使番(指示を受けて御用を務める役職)を務めたことから能力を評価され、慶長遣欧使節の大使に選ばれたとも言われています。
Luis Sotelo
ルイス・ソテロ
スペイン人宣教師。日本語を上手に話し、家康と政宗にメキシコ貿易を勧めました。いつかは日本で司教になりたいという夢を持っていました。
1574年、スペインのセビリアに生まれました。大学で学び、その後フランシスコ会の僧となりました。
使節の通訳としても活躍
キリスト教布教のために来日し、江戸で布教や医療活動などを行っていました。
わずか3か月で日本語を習得するなど、大変優秀な人物であり、使節の大使兼通訳としても活躍しました。日本で、司祭になる夢をもっていたともいわれます。
Sebastián
Vizcaíno
セバスチャン・
ビスカイノ
スペイン人探検家。メキシコ副王の使者として来日し、幕府や政宗と貿易交渉を行いました。日本近海で金銀島を探しだす使命も持っていました。
1548年、スペインのウエルバに生まれました。探検家として名を馳せ、彼が残した地名が今でもカリフォルニア沿岸に多く残っています。
優れた航海術
嵐で船が大破し帰国できなくなったビスカイノに対し、伊達政宗は使節船の建造を条件に、メキシコへの水先案内を要請しました。
ビスカイノは航海や造船の経験が豊富で、使節船の航海を支えたと言われています。
TOKUGAWA
Ieyasu
徳川家康
とくがわ
いえやす
徳川幕府の初代将軍。政宗と同じくメキシコ貿易を望んでいましたが、キリスト教の受入れには慎重な姿勢をみせていました。
1542(天文11)年に生まれました。関ケ原の戦い後、1603(慶長8)年に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。
戦いを制し、天下を掴む
関ケ原の戦いなど、多くの戦場を経験してきた天下人。天下が確立した後、武家を統率する「武家諸法度」などの法の制定に関わりました。
領土争いを「合戦」ではなく、「幕府の裁定」で解決するようにしたことで、平和な時代の礎を築きました。
GOTO
Juan
後藤寿庵
ごとうじゅあん
政宗の家臣でキリシタン。政宗とソテロの間を取り持ち、支倉常長を大使として推薦したといわれています。
MUKAI
Syogen
向井将監
むかいしょうげん
幕府の船と海上輸送を管理する役人。ウィリアム・アダムスから洋式帆船建造を学び、使節船づくりを支えました。
「なりきりパスポート」を持って、展示室をめぐってみよう!
展望棟の詳細はこちらCREW OF THE
SANT JUAN BAUTISTA
使節船に乗りこんだ人々
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1慶長遣欧使節団13人
支倉常長とルイス・ソテロ、仙台藩士、日本人キリシタンの一団。任務を終えてメキシコから帰国した仙台藩士もいました。
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2幕府関係者10人
向井将監の部下たち。役人のほか船大工や水夫などもいたと思われます。
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3使節の従者・商人・水夫など120人ほど
使節の従者、京都・堺(大阪府)・尾張(愛知県)の商人、水夫などのほか、ローマ教皇に謁見する数人のキリシタンも乗っていました。
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4南蛮人40人ほど
宣教師やビスカイノの部下である航海士・船大工・水夫たち。彼らが船の運航の主役となりました。




