サン・ファン・バウティスタとはSANT JUAN BAUTISTA
ORIGINAL
歴史上の
サン・ファン・バウティスタ号
慶長使節船サン・ファン・バウティスタ号について
サン・ファン・バウティスタ号(Sant Juan Bautista)は、江戸時代の初めに、仙台藩で建造されたガレオン船です。
伊達政宗の構想で建造され、慶長遣欧使節が太平洋を渡る航海に使われました。
この船は、西洋のガレオン船の技術を取り入れ、大きな船体と複数の帆によって、外洋を航海できるつくりになっていました。
太平洋を2往復したという事実は、当時としては大きな挑戦だったと考えられています。
「サン・ファン・バウティスタ」という名前は、「洗礼者ヨハネ」を意味するスペイン語に由来し、スペイン側の史料に記されています。
一方、仙台藩の史料では、この船は「黒船」と書かれており、日本側での正式な名称は分かっていません。
そのため、現在ではサン・ファン・バウティスタ号と呼んでいます。
使節船サン・ファン・バウティスタ号の建造
この船は、仙台藩の事業として、ビスカイノの配下のスペイン人船大工や、幕府の船奉行・向井将監などの協力を得て建造されました。建造地と出船地は、月浦(現在の石巻市月浦)と考えられています。
建造にあたっては、仙台藩の船大工や鍛冶職人をはじめ、多くの人々が関わり、短い期間で作業が進められました。全長約55メートル、重さ500トンにもおよぶ西洋式の大型船が日本で建造されたことは、当時としては例のない出来事でした。
使節船サン・ファン・バウティスタ号の航海
1613年10月、使節船サン・ファン・バウティスタ号は、メキシコのアカプルコを目指して出帆しました。アカプルコ到着後、支倉常長ら使節一行は陸路でメキシコを横断し、そのまま別の船でヨーロッパへと向かっています。
使節船はいったん日本へ戻ったのち、1618年には帰国する使節を乗せるため、再び太平洋を渡りました。その後、フィリピン(マニラ)に渡ったサン・ファン・バウティスタ号は、現地でスペイン側に買収されたと伝えられています。
それ以降、この船がどのような経緯をたどったのかは、はっきりとは分かっていません。常長が、フィリピン総督との関係を深め、貿易関係の構築を目指していたことが、背景にあったとも言われています。
サン・ファン・バウティスタ号に乗船した人々
サン・ファン・バウティスタ号には、支倉常長をはじめとする慶長遣欧使節のほか、船の運航を担った水夫や航海士、役人、商人、宣教師など、さまざまな人々が乗船していました。
海を渡る使命を帯びた人、船を動かす役割を担った人、交易や布教といった目的をもつ人など、それぞれ異なる立場や思いを抱いた人々が、同じ船に乗り込み、長い航海に臨んだのです。
どのような人々が、どんな役割でこの船に乗っていたのかは、「関連人物図鑑」のページで紹介しています。
館内でもご紹介しています
- 展望棟/慶長使節展示(ロビー展示、出帆シーンなど)
- ドック棟/東ウイング(伊達の黒船物語)
RESTORED
サン・ファン・バウティスタ号の
復元
復元船の主要項目
- 全 長
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55.35m
- 深 さ
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4.55m
- 船体長
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47.10m
- 吃 水
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約3.80m
- 垂線間長
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34.28m
- 高 さ
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48.80m
- 竜骨長
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26.06m
- メインマストの長さ
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32.43m
- 最大幅
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11.25m
- フォアマスト
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28.05m
- 型 幅
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10.91m
- ミズンマスト
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18.19m
サン・ファン・バウティスタ号
復元プロジェクト
使節船が出帆してからおよそ380年後の1990年代初め、史実を手がかりにしたサン・ファン・バウティスタ号の復元プロジェクトが進められました。
慶長遣欧使節とその船については、日本側に残された記録が限られており、船の姿や構造を正確に伝える資料は多く残っていません。
しかし、当時の文献や、国内外に残る同時代の帆船資料、さらに造船技術の研究成果などをもとに、復元の可能性が探られていきました。
この復元は、単に過去の船を再現することを目的としたものではなく、サン・ファン・バウティスタ号がどのような船であり、
どのような技術や知恵によって外洋航海を成し遂げたのかを、現代に伝えることを目指して行われたものです。
復元船サン・ファン・バウティスタ号の建造
復元にあたっては、次の4つの基本的な考え方が大切にされました。
- 1. 木造船とする
- 2. 原則として原寸大とする
- 3. 石巻地域の造船所で建造する
- 4. 宮城県内の船大工を中心に建造する
この基本的な考えをもとに、復元船の建造が行われたのは、石巻市中瀬の村上造船所でした。まず船の背骨にあたる竜骨をつくり、次に船体を形づくる肋骨を組んでいきます。丸みのあるフレームを組み立てる作業は簡単ではありませんでしたが、方法や材料を工夫しながら、美しい船体をつくり上げていきました。
船は進水後、石巻市西港のヤマニシ造船所にて艤装が行われ、マストやヤードが取り付けられました。
復元船の完成とミュージアムオープン
復元船は、1993(平成5)年10月9日に完成し、竣工式が行われました。各国の関係者も石巻に招かれ、復元船の完成は多くの人々によって祝われました。
完成後、復元船は東京や仙台など各地で披露され、1996(平成8)年6月には、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)の完成にあわせてドックに係留されました。以後、2021(令和3)年の解体までミュージアムで展示されてきました。
館内でもご紹介しています
- ドック棟/東ウイング(平成の黒船建造記)、西ウイング(原寸大復元船の部材展示)など
360° SHIP TOUR
サン・ファン・バウティスタ号を
のぞいてみよう
復元船は、2021(令和3)年に解体され、現在、実物大の船内外を見ることはできません。
ここでは、復元船が存在していた当時の記録写真をもとに、船内の様子や、帆船ならではの構造や設備を紹介します。
360度の記録写真を通して、当時の帆船のしくみや船内での暮らしに目を向けてみてください。
船体構造
外観
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1フィギュアヘッド・ラダーヘッド(阿吽の龍)
VIEW
船首・船尾の装飾品で、権威を示すためや航海の安全を祈るために取り付けられました。復元船には、政宗が好んだ竜にちなんで、船首には口を開けた「阿龍」を、船尾には口を閉じた「吽龍」を取り付けていました。
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2九曜紋
VIEW
伊達家の家紋のひとつで、復元船の船尾に取り付けられていました。ローマのボルゲーゼ宮に残る絵画「支倉常長像」の中の使節船にも、この九曜紋が描かれています。
船内のくらし
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3常長のベッド
360°VIEW
ベッドを使えたのは上級の船員だけでした。約130cmとかなり小さいベッドに体を固定することで、船の揺れによる負担を減らすことができました。
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4食事をする乗組員
360°VIEW
乗組員の食事は、干飯、干魚、漬物、味噌などの加工食品で、保存性の高いものが中心でした。食器は落としても割れにくいように木製のものを使っていました。
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5帆を繕う水夫
360°VIEW
帆とロープの修理は水夫の日課でした。針などを入れる箱は、船の揺れで道具が転がり落ちないよう、穴から物を取り出す形に工夫されていました。
船内の設備
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6時鐘《じしょう》
VIEW
乗組員に仕事や食事の時間を知らせるための鐘です。船のどこにいても音が聞こえるように船体の中央に置かれていました。また、霧の中で他の船に接近を知らせる役目も果たしていました。
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7グレートキャビン
360°VIEW
船長であるルイス・ソテロの部屋です。航海中は会議などにも使われました。
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8ギャレー(台所)
VIEW
火事が起きた場合に燃え広がりにくくするため、風下の船首側にありました。また、かまどは火に強い漆喰でつくるなどの工夫がされていました。
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9キャプスタン
360°VIEW
重い荷物の上げ下ろしをするための装置です。大勢が同じ方向に棒を押し回すことで、錨や積み荷などを持ち上げていました。
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10大砲
VIEW
海賊などが積荷を狙って船を襲う危険性があるため、大砲を備えていました。大砲は船内各所に置かれ、戦い以外にも入港時の礼砲などに使われた記録が残っています。
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11船艙《せんそう》
船の倉庫です。水面下に位置し、上層より室温が低いため、食料品も保管されていました。
館内でもご紹介しています
- ドック棟/東ウイング(サン・ファン・バウティスタ号VR体験)、西ウイング(原寸大復元船の部材展示)など
フィギュアヘッド・ラダーヘッド
(阿吽の龍)
船首・船尾の装飾品で、権威を示すためや航海の安全を祈るために取り付けられました。復元船には、政宗が好んだ竜にちなんで、船首には口を開けた「阿龍」を、船尾には口を閉じた「吽龍」を取り付けていました。
九曜紋
伊達家の家紋のひとつで、復元船の船尾に取り付けられていました。ローマのボルゲーゼ宮に残る絵画「支倉常長像」の中の使節船にも、この九曜紋が描かれています。
常長のベッド
ベッドを使えたのは上級の船員だけでした。約130cmとかなり小さいベッドに体を固定することで、船の揺れによる負担を減らすことができました。
※端末の向きに合わせて視点が動きます。端末を動かしてご覧ください。食事をする乗組員
乗組員の食事は、干飯、干魚、漬物、味噌などの加工食品で、保存性の高いものが中心でした。食器は落としても割れにくいように木製のものを使っていました。
※端末の向きに合わせて視点が動きます。端末を動かしてご覧ください。帆を繕う水夫
帆とロープの修理は水夫の日課でした。針などを入れる箱は、船の揺れで道具が転がり落ちないよう、穴から物を取り出す形に工夫されていました。
※端末の向きに合わせて視点が動きます。端末を動かしてご覧ください。時鐘《じしょう》
乗組員に仕事や食事の時間を知らせるための鐘です。船のどこにいても音が聞こえるように船体の中央に置かれていました。また、霧の中で他の船に接近を知らせる役目も果たしていました。
グレートキャビン
船長であるルイス・ソテロの部屋です。航海中は会議などにも使われました。
※端末の向きに合わせて視点が動きます。端末を動かしてご覧ください。ギャレー(台所)
火事が起きた場合に燃え広がりにくくするため、風下の船首側にありました。また、かまどは火に強い漆喰でつくるなどの工夫がされていました。
キャプスタン
重い荷物の上げ下ろしをするための装置です。大勢が同じ方向に棒を押し回すことで、錨や積み荷などを持ち上げていました。
※端末の向きに合わせて視点が動きます。端末を動かしてご覧ください。大砲
海賊などが積荷を狙って船を襲う危険性があるため、大砲を備えていました。大砲は船内各所に置かれ、戦い以外にも入港時の礼砲などに使われた記録が残っています。
船艙《せんそう》
船の倉庫です。水面下に位置し、上層より室温が低いため、食料品も保管されていました。
船艙《せんそう》
船の倉庫です。水面下に位置し、上層より室温が低いため、食料品も保管されていました。
船艙《せんそう》
船の倉庫です。水面下に位置し、上層より室温が低いため、食料品も保管されていました。




